せっけん作りやドッグアロマテラピー、犬との生活から
感じたこと、学んだことなどを綴りました。
お役立ち情報とともにお届けします。

 
究極の癒し
~アレン・M・ショーン先生来日セミナー~
2007/11/26


 11月21日、田町の「女性と仕事の未来館」で開催されたアレン・M・ショーン先生のセミナーに行ってきました。テーマは「究極の癒しへの道」です。

 アレン・M・ショーン先生は、動物を癒し、動物に癒される―ヒーラーとして目覚めた獣医師の話 人はなぜ動物に癒されるのか―Kindred Spiritsの著書を持つ獣医師です。コーネル大学獣医学部で学び、最初は西洋医学による診療をされていたそうです。ところが、獣医師向けの鍼灸講座を受講したことから、ホメオパシー、カイロプラクティック、アロマテラピー、フラワーレメディ、栄養療法などのいわゆる代替療法にも研究の手を広げていかれたとのこと。鍼灸を知り、西洋医学では解決できなかった症例が克服できるようになり、これを「魔法のカプセル」だと思ったそうです。ところが鍼灸にも限界があることがわかり、さまざまな療法をためしていくうち、それぞれに良い成果も限界もあることがわかってきて、「魔法のカプセル」を手に入れようとしていたご自分の傲慢さに気づいたのだそうです。
 そう、命は限り有るものですものね。若くても年老いていても、死を受け入れなければならないときはきます。先生は、「死は失敗でも終わりでもない」とおっしゃいます。傷んだ肉体を離れ、魂になって次の新しいステージへの旅に出るのが死だと。そしてわたしたちはその旅を祝福してあげましょうと。

 また、先生は「動物は言葉でなくイメージで考える」、そして「わたしたちはみんな動物と会話ができる」ともおっしゃいます。動物と言葉を交わすようにコミュニケーションをとることは、多くの飼い主さん共通の願いだと思います。わたしも動物とのコミュニケーションに関する本をいくつか読んできましたが、誰でも会話できるのだといいつつも、宇宙とのつながりについて説かれたり、特別な精神的・宗教的な鍛錬が必要だったり、理論を学ばなくてはいけなかったりすると、どうもわたしは気後れしてしまうのです。わたしがショーン先生に惹かれるのは、そういった特別なことを要求していないからかもしれません。相手を観察して「お、相手はこう思っているな、それではわたしはこう出よう」というようなやりとりは、人対人でも普通にあります。人と動物の違いを意識せず、このように考えることが大切なのだと、先生の御著書から学びました。要は頭で考えず、先入観を持たず、魂対魂として自然体で接しなさいということでしょう。
 一般にアニマル・コミュニケーターと呼ばれる人たちは、心をゆーっくりと瞑想状態にし、イメージの世界に入ることで動物とコミュニケーションをとるのだそうです。そこで、会場の皆と瞑想の練習。うーん、なんだかもわもわとしたものが四方八方から自分を圧迫するような・・・・・・不思議な感じ。この状態でいいのかなー、なんて考えているうちはきっと修行が足らんのでしょうね。でも、イメージで考えるというのはわかるように思います。夜寝ていて、犬がトイレに行きたがっていると不思議に目が覚めたり(もちろんクンクン鳴いてわたしを起こすことなく)、マッサージで犬に触れていると、その子の性格や暮らしぶりがなんとなく想像できたり・・・。これを動物とのイメージによるコミュニケーションとは気づいていないのですが、きっとそうなのでしょう。思い当たるフシはありませんか?

 もうひとつ、先生のお話で興味深かったこと。人との生活によって、ペットの意識レベルは進化するということ。犬の中で育った犬はいつまで犬であって、その種の領域を超えることはありませんが、人間と共に暮らすと思考や行動が人間のように進化する、しかも、良くも悪くも似てしまうというのです。これも言われてみれば大いに頷けます。
 例えば我が家の年長犬“もも”。彼女は2ヵ月半で我が家に来ましたが、小さいうちにわたしたち以外の人や他の動物たちに触れる機会が少なかったので、すっかり人化してしまったように思います。わたしたち夫婦が食事するとき、決まってテーブルに着こうとしてイスを引いてくれとせがみます。(もちろん食事はしませんが) 自分の食事のときは、お皿を前にマテをしているときにいつも「いただきます」的な声を発します。いずれもわたしたちの行動を見て自然と身についた習慣だと思います。
 年下の“はな”は生後1年間を動物病院で過ごしたので、犬らしさのほうが強く、あまりわたしたちを真似た行動はしません。そのかわり、子供時代タヌキやペリカンや他の動物たちと接しているせいか、動物同士のコミュニケーションは抜群です。
 よく犬は飼い主に似ると言われますが、良くも悪くも似てしまうなら、犬たちはわたしたち飼い主の反面教師ですね。

 セミナーのレジュメの中に、脳内麻薬エンドルフィンの受容体を発見し、アメリカでベストセラーとなった「感情の分子」の著者 キャンディス・パート博士は、「エンドルフィンは癒しの成分であり、絆を生み出すもとである。人と動物の神経伝達物質や神経ホルモンは同じであり、単細胞生物でもエンドルフィンを作るのだから、人も動物も同じ感情を抱かないわけはない!」という記述がありました。
 わたしはこの心地よさを犬たちにもと思い、犬のせっけん作りを始めました。駆け出しの頃に「犬と人は違うのよ」と獣医さんに意見され、とてもへこみましたが、わたしたちが手を荒らしたり、時には手袋をして洗わないといけないようなシャンプーが犬にとって心地よいはずがない!と、せっけん作りをやめませんでした。ちょっとレベルは違うかもしれませんが、パート博士の理論に自分の思いが重なったようで、とても嬉しく感じました。
(Peach Blossomのせっけんを使ってくださった飼い主さん、どうかワンちゃんから使用感を聞きだしてわたしに教えてくださいネ♪)

 動物たちに癒してもらおうとは思いませんが、彼らから癒されましたか?と聞かれれば、答えはもちろんYESです。これはわたしの持論ですが、癒しを感じるとき、そこに必ず「気づき」があります。癒しはどんなときも、どんな場所にもあるもので、わたしたちはそれに気づくだけでよいのです。癒されたいと思っていても、自分が気づかない限りは癒されない、そんな気がします。癒してもらおうと思って犬を家族に迎えても、ごはんの用意、オシッコやウンチの始末、毎日の散歩、しつけなどなど、犬の世話はなかなかたいへん。癒されるどころか、こんなはずじゃなかったと思う人もいることでしょう。それに加え、いたずらや無駄吠えや脱走といった喜ばしくないこともしばしばしでかしてくれます。ところがいつの間にか、どんなに手間がかかっても「この子がいない暮らしなんて考えられない!」と思っている自分に気づくんです。すると、自然に「ありがとう」という気持ちが生まれ、その気持ちが犬にも伝わり、お互いがかけがえのない存在になる・・・・・・あなたもそうだったのではありませんか!? これこそ動物を癒し、動物に癒される瞬間だとわたしは思います。

 終始癒しの雰囲気に包まれた、すばらしいセミナーでした。



動物を癒し、
動物に癒される

アレン・M・ショーン
チクサン出版社
人はなぜ
動物に癒されるのか

アレン・M・ショーン
中央公論新社
コラムで二度目のご紹介です。獣医として動物と触れ合う過程で、ショーン先生もわたしたちと同じように気づきを経験し、既存の西洋医学一辺倒の獣医療から癒しの療法へと変化していく体験が綴られています。第13章の「動物の教え」は、読者への気づきの章となっています。 引きこもりの青年を癒す猫や、自殺志願者を救うイルカ、牛の出産を助ける犬など、動物たちとの感動のエピソード。動物の前で、わたしたちはどうあるべきかを考えさせられます。獣医さんにも読んで欲しい本のひとつとして紹介されています。







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