せっけん作りやドッグアロマテラピー、犬との生活から
感じたこと、学んだことなどを綴りました。
お役立ち情報とともにお届けします。

 
三毛犬 ももちゃん
~保護犬を迎えて~
2006/10/6


 10月10日、秋晴れの日曜日、わたしたち夫婦は何日も前から、うきうきしながらこの日を待っていました。横浜の大通公園で、犬の譲渡会が行われるのです。引越しをしたら犬を迎えよう、そしてうちの子は捨て犬・保護犬から選ぼうと決めていました。何よりもそれが最善にちがいないと。
 捨て犬・保護犬というとなんとなく雑種のイメージがあります。その日集められたのもみんな雑種。子犬の中でも特に小さかったももちゃんを、わたしたちは選びました。本当にかわいい女の子で、しかも三毛!ももを欲しがる人はほかにも何人かいましたが、決断の早かったわたしたちに白羽の矢が立ちました。避妊手術をしたあとに返還される保証金と手数料を支払い、なぜかその場に集まっていたホームレスのおじさんたちの「元気でなー、幸せになれよー」という声に見送られ、みかん箱にちょこんと入ったももちゃんがついにやって来ました。まだ生まれて2ヵ月半、こんなに小さいのに、外で母犬とともに保護され、お母さんや兄弟たちと別れ、知らない家にもらわれていくなんて・・・そのときちょっとかわいそうな気持ちになりました。同じケージにいた白黒ブチのおにいちゃんは、港南区の人にもらわれていったようです。
 もうすぐあれから7年、あのときの命かげろうはどこへやら、今のももちゃんは里見家のひとりとして、はなちゃんの姉貴分として、堂々たる存在感を放ち、我が家でいちばんの我の強さを誇っています!

 ここのところ『動物の愛護及び管理に関する法律』が一部改正・施行されたり、各自治体の犬猫収容体制が変わったり、終生飼養に対するいろいろな取り組みが見られます。が、それでも昨年度の年間犬猫殺処分数は36万頭という膨大な数字、1日平均で1000頭以上の犬猫が殺処分されていきます。虐待や餓死、動物実験(行政の払い下げは廃止の方向)などを入れたら、1年間でいったいどれほどの犬猫たちが殺されていくのでしょう。

 各自治体の動物収容・譲渡の体制は、譲渡よりも殺処分を前程としたシステムと捉えていいと思います。動物愛護センターとはいっても、ここでの結末は死。動物愛護センターでなく動物殺処分センターのほうが適当なのでは?安楽死でないことだってはっきりしていますよ!処分に関わる職員の方々だってつらいはず、それなのに、なぜ変えられないのでしょうね。所詮いのちよりお金なんでしょうか。個人の願いより大きな組織なのでしょうか。
 動物愛護センターに収容された動物たちは、長くて7日後、早ければ即日殺処分になります。わずかな収容期間に譲渡の可能性がいったいどれほどあるというのでしょう。法律では、飼えなくなったらできるだけ譲渡の対策を講じるよう定めていますが、センターに入れられてしまえば治外法権の世界。(自治体によっては努力されているところもありますが)
 抑留期間がもう少し永く設けられていれば、譲渡動物の情報がもう少し広く伝達できれば、36万の殺処分動物のうちわずかでも命が助かったかもしれません。民間動物ボランティア団体との積極的な連携も必要だと思いますが、現実はどうなのでしょう。助けることを前程として活動しているボランティアさんには、知恵も情報もたくさんあると思うんです。とにかく、「譲渡を主眼に」という点は、欧米からもっと学ぶべきでしょう。
 しかし、いちばんの根源は、飼養する側の意識と責任です。処分を申し出た人には、かつての自分のペットが処分される現場に立ち会わせるべきでは?死を見届けるのも飼い主の責任でしょう?

 時々ニュース番組で動物収容と譲渡の実態が放映されたりしますが、皆ゴミを出すように何の未練もなくペットたちを置いていきます。テレビだからそういうシーンをことさらに撮っているのかと疑ってしまうのですが、センター職員さんの話や、愛護活動に従事されてきた人たちによる情報を見ると・・・あれが現実なのですね。
 それは9月20日の朝日新聞朝刊の記事 『ペット、捨てられ続け』 を読んでも明らかです。・・・悲しいタイトルですねー。このタイトルの裏側には、生まれてきても愛されることなく、不要なものとして死んでいかなければならない、という意味が隠されています。そんな一生を送りたいと思いますか?彼らにだって細やかな感情があり、温かい血が流れているのですよ。
 
 今思えば、ももちゃんは生き残れる運命だったのでしょう。心ある方に保護されて、ボランティアさんに預けられたのが彼女の幸運でした。母犬や1頭のおにいちゃん犬を除く兄弟たちはどうなったのかわかりません。

 このようにわたしは、愛護団体から犬を引き取るのは、血統書付きで買われることを前程とした犬を選ぶよりも意義があるんだと思っていました。もちろんその意義の大切さに変わりはありませんが、ペットの業界に目を向けてみると、劣悪な環境、母犬から離すには小さすぎる月齢、遺伝疾患、売れ残りなどなど、ここにも大きな問題が・・・。ケージの中で、誰かに買われる前に死ぬ子もいるでしょうし、売れ残って大きくなり、結局は捨て犬と同じように処分される子、実験機関に転売される子、買われてもすぐに死ぬ子、買われた直後に疾患が発見され、返品、殺処分される子もいるでしょう・・・その一方で、繁殖用の母犬たちは次々と子犬を生まされ、自分の歯もなくなるほど衰弱してしまう実態!わたしはどこから選ぶべきだったのだろう、いったいどうしたら犬たちにとって最善なのか、すっかりわからなくなってしまいました。
 聞いた話によると、我が家のもう1頭はなちゃんもそのような例に漏れません。栃木あたりのブリーダーさんのところで生まれたのですが、どうもショーや販売や繁殖のほうには行かなかったいわゆる「余った子」らしいのです。血統書はあるようですが、わたしたちは登録名も犬舎名も知らされていません。最初に動物病院に引き取られたから命がつながったのかもしれません。そして我が家にやってきて・・・。
 ももちゃんもはなちゃんも、今はきっと「幸せ」と感じてくれていると思います。わたしもこの子達と家族になれて本当に幸せ。でも、縁のないまま死んでいった数えきれない子たちを思うと、この気持ちがうしろめたく思えることもあるのです。

 いつかももちゃんやはなちゃんとお別れする日が来るでしょう。そうしたら、きっとまたわたしたちは犬を迎えるでしょう。縁があれば、雑種であろうと血統書がなかろうと、わたしたちはかまいません。

 そういえば、最近めっきり外で雑種犬を見かけなくなりましたね。


追 記 : ももちゃんと出会うきっかけとなった動物愛護団体は、あれからすぐに消滅してしまったようです。避妊手術のことで相談の手紙を出しましたが返事はなく、他の人の話では手術の保証金も返ってこないとのことでした。わたしたちも保証金返還はあきらめ、避妊手術は獣医さんとの相談の上しないことに決めました。また、仲介してくれたボランティアさんのところには、同じような保護犬、これから保護しなければならない犬がいるとのことで何度か援助をしましたが、援助後の結果(保護の実績)が知らされないまま次の援助を求められることが続き、今では交流はありません。何頭保護してもエンドレスな状況に、いちいち実績を公表している余裕はないのかもしれません。でも、知りたかったんですよ。1頭でも、命が助かったのかどうかを。


Lifeboat 公共機関の譲渡情報
各自治体の譲渡連絡先や、殺処分・譲渡の実績数、登録犬数
http://www.lifeboatjapan.com/satooya.link/

 

捨て犬のココロ
写真/藤本雅秋 文/坂崎千春
WAVE出版
ワンワンワン
絵と文 さかざきちはる
WAVE出版
かわいくてあどけない保護犬たちの写真集。でもページをすすめていくごとにずーんと心が重くなっていく。この子達は幸せになれたのだろうかと。最後のページ、オリの隙間からのぞく子犬の顔は、うちに来た頃のももちゃんにそっくり。涙・・・

小さくて弱かったチビ、大きくなって捨てられたリリィ、誰にも話しかけられない名無し。誰からも必要とされなくなった捨て犬たちが新しい飼い主に出会う、素朴な絵本。ハッピーエンドが嬉しくて、何度も読み返しました。

ただのいぬ。
写真/服部貴康 詩/小山奈々子
角川文庫
捨て犬を救う街
渡辺眞子
角川書店
ここにもまたあどけない保護犬たち。ただのいぬとは無料の犬のこと。このタイトル、「だ」の濁点が涙のかたちになっているんですよ。写真の添えられた詩はどれも象徴的です。 日本の動物保護行政の問題は?愛護先進都市サンフランシスコに学ぶものは何か?施設で処分された柴犬の亡骸と、袋に詰められた小さな骨の写真が切ないです。









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